
プロフィールでは、少しお話しをしていたんですけど、ちょっと音楽のお話をしたいと思います。ちょうど、1年前ぐらいに小学校の同級生ハルク君が他界しました。ハルク君とは、同級生ながら不思議と機会がなく、小学校6年間と中学3年間、一度も同じクラスになった事がありませんでした。だから、1度もお話しをした事が無かったんです。同級生なのに・・・
彼の家はおもちゃ屋さんを経営していて、良く遊びに行ってました。
だから、存在は知っていたんです。

そうねぇ、確かに1度も家には来てへんなぁ。

僕はその後、大学に行き化学を学んでそのまま、社会に出る予定だったんですが、
いわゆる就職氷河期ってやつにぶつかり、本当にやりたい事を見つめなおした時に、
音楽で仕事がしたいと思い立ったんです。はい、突然に・・・
親にも猛反対をされました。でも自分で決断をしたんです。
実は、少しだけピアノがひけて、大学からアコギを趣味程度にしてたんで、
ギター片手に路上で弾き語りながら、上京を考えたんです・・・

やめとき、あんた歌下手やし音痴やで。リズムもあかんで。

いや、いけるっしょ。って思ってたんやけど、さすがに無謀かと思い、
他に何か・・・と検討した時に、宅録?音楽を家で録音するのが趣味だった僕は、
当時、レコーディングエンジニアの道を目指したんです。そこで、丸腰では働けへんぞ!
っと、コンピューター専門学校HALという専門で、基礎知識を学ぼうと門を叩くのです。

良く来たね。新設されたミュージック学科です。
コンピューターの知識と、DTMやレコーディングの知識が学べます。

この専門、新設されたばっかの学科で、全部手探り((´∀`))ケラケラ
やばし。得る物、なんもあらへん。やばい。
って思ったんやけど、ここで永遠の友達2人と会うんです。
その話はまた今度で・・・2年の時、レコーディング学科に進んだ時に、
村川先生という方に出会うんです。大阪で有名なプロデューサーです。
とてもシャイです。僕は、専門の友達とレコーディングの現場とかに連れて
いってもらいました。あの任天堂のCMの曲・・・

あれ、僕が作った曲。

蚊の鳴くような声で、ボソッと言わはります。
先生、どうやったらレコーディングエンジニアになれますか?

僕が言ったと言わないでね。
すぐこの専門辞めて、スタジオで働いた方がええよ。
後、これは覚えておいてね。僕がもう1っ回人生を歩めるならこの道は歩まないよ。

っで、僕は上京をするんです。ギブソンのアコギと共に。
っで僕は、新宿にあったBAZOOKAスタジオの門を叩くんです。
そこは3カ月の見習いで、無給です。でも、勉強したいなら・・・
と席を設けてくれました。この話もまた今度・・・
この時、ハルク君はギターのプロ演奏者として上京していたんです。
風の噂では聞いていたんですが・・・まだこの時点では会えず。
3カ月の見習いで不採用が確定し、職も無くなり途方に暮れました。
ここで、村川先生の言葉を思い出し、レコーディングエンジニアで飯が食えるように
なるには、10年ぐらい最前線で活躍できひんと無理やぞ!っと気がつくんです。
また、新宿や渋谷の冷たい感じに帰省を考えました。でも、まだ上京して何もやってへん。
ミスチルの星になれたらが無限ループする。
っで、僕はゲーム会社の音楽制作の募集を目にするんです。そう言えば、専門でDTMを
習ってたからこれできるんじゃねぇ?何でも良い、音楽で仕事がしたい!と応募しました。
そこで、B社に内定が決まり、音楽の道を進むんです。またこの話も今度・・・
10年後

遺産相続がえらい事になってきたから帰ってきてくれ!

そうか、限界か。
ちょうど、僕のプロジェクトも暗礁に乗り出したから、ここいらが限界か。
まず自分の地盤を構築しょうと帰省を決めました。
そのタイミングで、小学校の同窓会が開催されるのです。
僕はそこで、ハルク君に会いました。初めて話す同級生は、凄い暖かく全てを包むような
誰からも好かれて、とてつもなくファンキーな存在でした。そいて、まだ最前線で音楽活動とスタジオ経営をされているので、意気投合して仲良くなったんです。

ちょうど1年前にハルク君は、急性心不全でお風呂の中で亡くなりました。
まだまだ、音楽の話や、馬鹿話をいっぱいしたかったですね。
僕が、初めて行く場所で不安でいつもキョロキョロしている時に、不思議と見つけてくれて
最初に声をかけてくれ、安心をさせてくれました。まこと、早すぎて受け入れられません。
彼が経営していたリハーサルスタジオです。よろしくお願い致します。

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